どうも皆さんお疲れ様です🙇♀️
KONAログNo.2は、「高校球児⚾小長谷」をお届けします。
テレビで甲子園を見ると高校時代の甲子園を目指してた頃を思い出しKONAログに書くことにしました✨
僕の青春は、全て高校野球に費やしたと言ってもいいくらい野球に支配された生活をしてました😅
僕の母校は、
下関商業高校
甲子園出場回数23回
優勝1回 準優勝2回(全て昭和)
下関市の中学校のエースや4番打者が集まる高校でした。
好成績を収めていたのは、昭和の時代で常に古豪復活と言われて伝統的練習法で根性論ど真ん中のチームでした。
同世代の人と話した時にびっくりされるリストを紹介します。
・年間の休み3日だけ
とにかくこの3日間は寝ずに全力で遊びました💦
・土日祝、夏休などの長期休暇は、朝7時に個人練習、9時から全体練習、20時に全体練習終了、23時まで個人練習
なんとかしてサボろうとしましたがコーチが8人いたのでサボる手立てが見つからず引退しました🥲
・夏場の練習のアップがグランド50週(掛け声と足が揃ってなければ最初から)
最高150周走った時は、部員の半数が泣いてました😭
・一ヶ月1kg体重アップ。(1人でも達成できなければスクワットを足りないg数×100回)
57キロで入部し引退時には、89キロでした🔥
特に細かったので合宿の時は監督の横でご飯と豚汁を茶碗ではなくボールで提供されてました🤮
・試合に負けると学校までランニング
一度、学校から25キロ離れた球場で負けた事があります🏃♀️
もちろん走って帰りました。
・他校との合同練習で他校の選手がキツ過ぎで号泣
合同練習をすると他校の選手は、僕たちの練習量にビビってしまい試合で当たるのを嫌がられてました。
・寝坊を一回でもするとレギュラーでも一ヶ月2軍に降格
一度、寝坊し2軍に落とされた事があります。
後遺症なのか引退した後も寝坊したと勘違いして絶叫して起きたことが何度かあります💧
まだまだありますが、引かれるのでこれくらいにしておきます🥹
こんな高校生活を送っていると、よくこんな事を言われます。
「こんなにきつい思いをしてきてたら何があっても絶えられるでしょ」
これは、必ず言われて来ました。
ただ、僕には一切当てはまりませんでした😮💨
僕の考えはこうでした👇
「とにかくキツイことは二度としたくない」
「誰かの管理下で生きていたくない」
キツイ日々は、一般論とは逆方向に作用し矛盾だらけの中で生活してました🤯
結果、高校卒業後の僕は、自分では頑張らず根拠の無い自信を持ち、誰かが僕を引き上げてくれて何者かになれると、盛大に勘違いしてました🫣
誰かが助けてくる、やってくれる、なんとかなると何故か信じてました😮💨
みんなで重い物を運んでるときに持ってる風で全然力を入れてない👈全てにおいてこんな感じ。
こじらせてた僕は、26歳までこのモチベーションをキープしてました🤦
何がキッカケというわけではありませんが、やんわり自分が何者でもないと気付き始めたのが27歳の頃です。
気付いてからは、とにかく軌道修正が大変でした💦
とにかく頑張る、とにかく挑戦する、とにかく動く
30歳くらいでやっと自分は、こういう人間でこう生きていくという道筋が見えてきました👀
効率も悪いし体には良く無いですが、寝ずに仕事をしたりご飯を食べる間もないぐらい働いた時にキツさより充実してる事の心地よさを感じるようになったのを鮮明に覚えてます🔥
今でも、とても完璧とは言えませんが気付くと勘違いしてたあの頃に戻りたくないという気持ちが原動力となってるなと感じる瞬間があります。
何が言いたいのかわからなくなって来ました🤦
青春時代のキツい日々が遠回りわして僕に力をくれたと言う事を伝えたかったのかもしれません💪
高校野球だけじゃないですが、頑張ったり、サボったり、辛かったり、悲しかったり、楽しかったりした過去の経験は、自分の許容範囲が広がった時に急に理解できたり、納得できたり、恥ずかしくなったりと未来に繋がってるなと思います。
何故か、急に客観視できたりと変化は突然やってきます。
ますます何が言いたいのかわからなくなってきたので最近の僕の気持ちを書いて終わります。
世の中に不要な物事、不要な仕事、不要な人はいないので僕は、全てを応援します🔥
こんな仕事、こんな事って言ってる人いますが、いろんな仕事やいろんな事の上に僕たちの生活が成り立ってると思ってます😊
だから全てを応援します🔥
後、僕のことも応援よろしくお願い致します🫣
長文のお付き合いありがとうございました🙇♀️
小長谷 雄祐
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